はじめに
ナマステ!
ひとしずくサポーターの皆様、いつもたくさんの光をあててくださり、心より感謝致します。
この度、2023年1月より2か月間のインド滞在から帰国し、私の頭と体と中にあるものを文章にして、皆様と共有できたら良いなと思い、慣れないエッセイを作成する事になりました。
いつもは「はたよがのひるよが」での15分間のお付き合いですが、今回はもう少しだけ長くお付き合いいただけたら幸いです。
ありがとうございます。
2023年3月 岡崎真弓
忙中に悟りなし
この時代を生きる私たちの日常はとても忙しくて、身体も精神も動き回って静止する時がありませんよね。
だから現在の自分に戻ることも忘れてしまっているし、自分が今何をしたいのか、何をしなければならないのかが、はっきり見えなていない事が多いと思います。
そう言う点では私の場合、
インド滞在中の多くの場面で
自分に戻って問う、
考える、
確認する、
判断する、
という様な機会がたくさんありました。
毎日毎日起こる日常の小さな出来事から、毎日毎日 自分を見つめる練習 をするわけです。
後日の30ルピー
ある日、いつもの八百屋さんに行った時のお話。
インドでの日常の買い物は、日本の様にスーパーマーケットに行くのではなく、屋台の様な小さな個人商店に行くのですが、持参した大きめのエコバックいっぱいに野菜を買っても、大体100ルピー前後 (約100円〜150円)。
そしてお釣りの小銭がないことが多いんです。
なので合計金額が80ルピーだったりすると「はいこれ、20ルピー分のオクラね。」と言って勝手に袋に追加されて、釣り銭なしの100ルピーになる (笑) 。
この日は珍しくアボカドを買ったので合計が130ルピーになり、私も店主も手持ちの小銭がないという状況で、店主が「100ルピーだけ払って、残り30ルピーは今度払いなさい。」って言ってくれるんです。
後日、同じ八百屋で
「おじさん、この間の30ルピーも今払うね!」
というと、店主は全く覚えていなくて「あなたがくれるのならもらっておくよ。」という態度。
その時はじめて、きっと店主は最初からこの30ルピーはもうどうでもよかったのだと気づきました。
そして、払うか払わないかは私の判断に任せるという意味だったのです。
他の商店でも度々「今度払いなさい」の状況になるのですが、払っても払わなくても誰も気にしないし、迷惑をかける事もない。
だから後は自分次第で、自分がどうしたいかを考えて行動しなければなりません。
プロセスから得たもの
私の場合は…
「やっぱりきちんと払いたい!この30ルピーはたったの30ルピーだけれど、店主やその野菜を作った人々、運んで来た人々への感謝と尊敬を表す大きな価値のある物だから、私はその価値を無視できる様な人間にはならないぞ!」
という結論に至ったのですが、
みなさんの場合はどうでしょうか?
どんな結論でも大丈夫。
自分を見つめる過程を楽しんで自分を知る事が、自信を持って次の行動を起こすエネルギーになるのだと思います。
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