【はたよがのひるよが3周年記念】ヨガ旅エッセイ_インドに置いてきたモノ②

はじめに

ナマステ!

ひとしずくサポーターの皆様、いつもたくさんの光をあててくださり、心より感謝致します。

この度、2023年1月より2か月間のインド滞在から帰国し、私の頭と体と中にあるものを文章にして、皆様と共有できたら良いなと思い、慣れないエッセイを作成する事になりました。

いつもは「はたよがのひるよが」での15分間のお付き合いですが、今回はもう少しだけ長くお付き合いいただけたら幸いです。

ありがとうございます。

2023年3月 岡崎真弓

わからない、からみえるもの

最初は「右も左もわからないってこう言う事⁈」と、Google マップを命綱にふらふら彷徨うわけですが、滞在3日目くらいから自分の中で空間が見えて来て、地に足が着いてくるのです。

さらに数日経つと、居心地のいい場所やお気に入りのものが見つかってきて緊張が溶けて、さーっと足の裏から地面に流れていく感じ⁉︎ になるのですが、そうなるとまた色々なものが見えてきます。

生命の一体感

インドでは牛は神様、山羊、犬、鶏なども人間と同じ流れで生きていて、堂々と道を横切ったり、真ん中で寝てたりしているのですが、インドの人々は動物たちを追い払ったり威嚇したりはしません。

まるで親しいご近所さんの様に、自分の居住エリアに住み着く動物たちに食べ物を与えて話しかけたり、とにかくあらゆる命との一体感があります。

この 生命の一体感  を感じられる様になれば心が自由だな、と私は思うのです。

言い換えると、全ての物が自分と同じ、または自分自身の様に思えると言うことです。

インドでの毎日

ここで、私のインドでの日常のお話。

今回の滞在では毎日1時間の瞑想クラスを受講していて、その会場まではメイン通りから少し奥の方、住宅地の静かな道を15分くらい歩くのですが、そこに山羊の家族が住んでいます。

ある日のヤギの家族とわたしのおはなし。

いつもは日陰でのんびりしているのに、その日はどこかへ行く様子。

ボス山羊を先頭にボスの兄弟、嫁、ボスの子供、孫、ひ孫 (この序列は私の想像ですが)が一列になって私と同じ方向へ歩いていて、そのうち、その列に私が偶然乗っかって同じ速度で歩いていく。

その列の中では、私はボスの長男の嫁くらいの位置に居たでしょう(笑)

そして、私の中でここに流れている時間とか空間とか存在とか目的とかが同じものに感じられて、自分は山羊になって、山羊たちはきっと人間になったと思っていて、その後はもう山羊だの人間だのという概念が消えて、魂が今ここに一緒にいるんなーって思えてくるのです。

そこには優劣とか、競争心とか敵意とか嫉妬とか恐れとか不安とか …そういう負の感情が無いんです。その結果、頭がとても柔軟に、そして心が自由になっていくのです。

苦しみはどこにある?

こうして、心が自由になってフワッとした感じで瞑想クラスに入るのですが、この瞑想の先生 (先生の目の玉はとっても澄んで奥まで見える⁈)  のお話がいつも印象的でした。

例えば「私たちの脳(精神)はいつも過去や未来のことを考える様に出来ていて、過去の事を後悔したり辛かった気持ちを思い出したりして苦しむ、または未来の事を不安になったり恐れたりしてまた苦しむ。

私たちがこうした苦しみの感情を持って生きるのは自然な事で、全ては頭の中だけで起きてるの苦しみなので、忘れようとか消してしまおうとせずにそこから現在の自分に戻って来ようとする、また向こう(過去と未来)に行ってしまってもまたこちら(現在)の自分に戻ってくる。

何度も何度も繰り返して現在の自分に戻る ことが、苦しみを減らし、幸せになると言うことです。」

その瞬間、先生の目がキラリと光って私の目の奥を刺し

「あなたはどうですか?ちゃんと今ここに居ますか?」

と目で問いかけてくるのです。

そういうプロセスを経て、私は慌てて現在に戻ってくるのです。

ヨガ旅エッセイ_インドに置いてきたモノ③(2023年4月18日更新)に続く

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